大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法

飛騨方言における人称代名詞の使用の実際(おりぃ、わりぃ)
飛騨方言の人称代名詞の種類による二者人物関係

戻る

飛騨方言における人称代名詞の実際の使用例について お書きしましょう。 まずは、私・あなたを、おりぃ・わりぃ、と言う代表的な言い回しについてです。

別稿の第一人称代名詞・おりぃ、に関する一考察 の記載の通りですが、筆者はこの言葉を男性を主張する言葉とは考えません。 使用者が男女に関わらず相手に対する謙譲表現というのが筆者の見解です。 また別稿の第二人称代名詞・わりぃ、の使用制限 の記載の通りですが、この言葉は実は自分と対等以下の相手に対する 一種の非尊敬表現であるというのが筆者の見解です。 以上から演繹される例題を以下に思いつくままに記載しましょう。

1.こちらも相手も、互いがおりぃ・わりぃを使用する場合
こちらは相手に謙譲し、尚且つ相手をこちら以下と半ば見下す、 また相手も自身を謙譲しつつも、こちらを自身以下に見下すわけですから、 両者の人物関係は完全に平等であると帰納できましょう。 例としては男の同級生同士、あるいは双子の兄弟同士、あるいは年のあまり違わない兄弟同士、 職場の同僚同士、見知らぬもの同士、等々が相当します。 つまりは互いに平等であるとの暗黙の了解がある人物関係です。 うちとけた会話がはずむでしょう。 あるいはつい口喧嘩なら互角の戦いという訳ですね、ははは。
2.こちらがおりぃ・わりぃを使用するにも関わらず、相手が謙譲する場合
自身は相手に対して対等の関係であると主張しておりぃ・わりぃを使用する訳です。 例えば夫婦です。夫はおりぃ・わりぃを使用します。 がしかし妻はわたし(女である事を主張)・あんた(夫を尊敬)を使用します。 如何に男女同権の平成の世とはいえ飛騨の女性はどうにもこうにも夫に対しては謙譲してしまうという 美学が働いているのですね。 あるいは、妻が夫に対してわりぃ、を使い出したら これはもう悪妻がダメ親父に罵詈雑言を浴びせている状況を 想像してみてください(赤塚不二夫さあん!)。

また、実るほど頭を垂れる稲穂かな、 例えば、社長さんが社員に、先生が生徒に、お寺様が門徒に、等々、 おりぃ・わりぃを使用する場合があります。 がしかし社員・生徒・門徒らは畏れ多くて日ごろ尊敬している人に対して わりぃを使用する訳には参りません。あくまでもおりぃ(自身を謙譲)・あんた(相手を尊敬)を使用します。 夫に対する妻の気持ちと全く同じ発想です。 慕われていることがかたじけなく、あなた様をあくまでも尊敬申し上げますという美学が働いてしまうのですね。

まとめますと、こちらから相手に対しては何の遠慮もありません。 また、わりぃを使用する以上、例え無意識であれ実は自身が謙譲していないのです。 一方、相手はこちらに多少なりとも遠慮します。 がしかしいずれにせよ、お互いにうちとけた会話にはなりましょう。
3.こちらがおりぃ・わりぃを使用し対等を主張しても、 相手があにはからんや謙譲もせず、 おりぃ・わりぃの代名詞にてこちらと対等であるとも主張しない場合
例題2.の場合の逆ですから、むむっ、かなり険悪です。 相手は多分、こちらを見下しています。 やはり、相手に対してわりぃ、を使用すべきではありませんでした(おりぃ、の使用は可です)。 相手は背広にネクタイ、一見しては紳士風であるにせよ、自身に対して尊敬語で 話しかけられなかった事を侮辱と感じたわからず屋さんの可能性すらあります。 従って、瞬時にその事を察知し、さっと謙譲しておりぃ・あんたの用法を使用しましょう。 以下例文を(高山市営駐車場にて)。
わたし (まずは対等を主張)
    おりぃの車がとまっとるのにわりぃの車が
        こつかって(=ぶつかって)きたんやながい。

相手  私の車がこつけた?ふざけるな。
    わりぃが私にこつかったんやぞ。ところでな
    わりぃの車、中古車であちこちでこぼこやな。
    今まで随分こつけてきたって事なんでないのか。
    私のピカピカのベンツを見よ。私はもう
    四十年も運転しとるがなあ。事故など
    した事ぁ一度も無いんやぞ。
    
わたし (謙譲するのがよいと瞬時に考えて)
    そやなあ、おりぃと違ってあんた様ぁええ車に
    乗らはって。けなるいさ(=うらやましいです)。
    そやけどやなあ、やっぱなあ、交通事故なんやでなあ
    まずは警察に来てもらってえな、どうやな。

ページ先頭に戻る