大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

おいでまう、しまってまう、でてまう

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飛騨地方の詳しい人口統計を実は知らないのですが、太古来微増、 江戸時代にやや増、明治時代に産業の革命がおこり、また 生めよ増やせよで人口爆発となったのではないでしょうか。 そして戦後は一転して過疎化という全国のどこの田舎にもある 現象でしょう。 ひとつには戦後の農業人口の激減でしょう。 従って高山市及び周辺はいざ知らず、山間僻地の村々では、 農業を おいでまうしまってまう、 村をでてまう、 という人達が多いのでしょう。 江戸時代までの飛騨の片田舎といえば自給自足が 原則、産業構造はあいも変わらずでした。 鎖国で国自体が世界の流れに遅れて深い眠りに陥っていた 日本のそのまた真ん中の陸の孤島の飛騨なのでした。

また高山市内などでも戦後の町並みの変化は著しく、 昨日まであった産業は廃れ、おいでまう、しまってまう事も あるでしょう、あるいは中京圏にでてまう事も。 中には都会生活をおいでまって、しまってまって、飛騨に はいってまった人も少数派ながらお見えのようです。 ネット発信もなかなかご熱心です。

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