大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 歴史

物類称呼

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私:今夜のお話は江戸時代の方言辞典について。読みは「ぶつるいしょうこ」。
君:高校生には必要ない知識だわね。
私:そう、受験には必要ない知識。
君:学問的な位置づけはどうかしら。
私:これも散々、ってなとこだな。でも国研さんの気合の入れようはどうだ。全文をネット公開してくださっている。全文をテキストで起こしておられる。しかも同書の全文検索システムまで構築しておられる。
君:やはり第一級資料という事じゃないの。
私:有難い事に物類称呼 5巻 (国会図書館コレクション) Kindle版つまりは無料版もあり、携帯電話で持ち運べる。旅のお供に是非どうぞ。ただし、何といってもお勧めは岩波文庫。

君:学問的な位置づけが散々、というのは聞捨てならないわよ。
私:そうだね。江戸時代とはいえ、わが国最初の全国方言辞典。天地・人倫から動植物の呼び名、器物や衣食、言語等々、良く分類整理され、俳諧や本草学とも関係の深い書。なによりも僕のように方言学というものに拘る人間には座右の書として手放せない書で、一字一句が味わい深い感じがする。
君:大よその検討はつくわ。つまりは大衆向けで、好事家的な書なのよね。
私:ははは、その通り。編者・越谷吾山は俳人。越谷市越ケ谷の出身で、つまりはペンネーム。江戸に出て俳人なので沢山の人と知り合えたのだろう、方言収集にやみつきになり物類称呼を著した。書き方はワンパターンで、まず見出しに当時の標準的な語形を出し、それに対応する方言語形と、その語形が使われている地域を記すという形式。
君:つまりは語彙にのみ関心をお示しになっておられたようね。
私:ご職業が俳人だからね。文法とか、動詞の活用とかなどはほとんどご興味が無かったようだ。また語源についての記載も多いが、これがまた民間語源のオンパレードという感じで、つまりは江戸時代の現代俗語・方言辞典という点で学問的な価値はあるが、内容の鵜呑みはうかつに出来ないぞ、というような書なんだよ。読んで楽しい書には違いない。
君:江戸時代には国学という立派な学問はあったけれど、学問としての方言学は存在しなかったも同然なのよね。
私:そんなところだな。万葉集には東歌と防人歌があわせて三百首以上もあるから、貴重な資料には違いない。ただし「あずま」にかかる「とりがなく」という枕詞があるように、東国方言というものは和語というよりは、それこそ鳥のさえずり、つまりは人が聞いて理解できるような言葉ではないという方言意識があったのでしょ。
君:そう言う事を学問的に考えようという気持ちにはなれないわね。
私:「あいつらはかろうじて日本人」というような気持だったんだよね。東大寺諷誦文稿の飛騨方言の記述もそうだよね。
君:でも飛騨工が日本人扱いしてもらえてよかったわね。
私:そう、飛騨人は奈良時代から日本人になった。そして飛騨高山に国分寺が建立された。
君:明治になって近代国家にふさわしい標準語を持ちたいという官民の願いは凄まじいものがあったのよね。
私:そう。明治政府の対応は素早かった。全国の口語法調査。ここから一気に近代学問としての方言学が開花する。
君:途端にエンタメ系の物類称呼の価値が下がる。
私:そんな感じ。でも日本で最初の方言辞典という価値は不動。
君:そんな名声が目当てでお書きになった訳ではないと思うわ。要は、方言語彙がお好きだったのよ。好きだからこそ続けられる。コツコツとお集めになったのね。数はどれだけなのかしら。
私:約4000だ。項目だけでも550ある。
君:それはとても立派な事だわ。
私:ああ、勿論。書中にまて(生真面目)を発見した時の事はよく覚えている。
君:ほほほ、詳しく説明してね。
私:飛騨俚言に「まちょうな(小器用な、熱心な)」がある。語源について何年も考えていた。物類称呼に「まて」を発見して、ビビッときて腰を抜かしてしまった。「まちょうな」の語源は「真手也」に違いない。仏教から来た言葉だったのか。いやあ、越谷吾山って凄い人だなと思ったよ。以来、ファンになってしまった。ところが、間違いだった。日本方言大辞典三巻が手に入ったので語数十万を片っ端から調べて分かった事、どう考えても「まじゃうなり真情也」が語源でしょ。物類称呼にだまされた。あの野郎。
君:つまりは語源問題がひとつ見事に解決したのかしら。しかも物類称呼が物的証拠にならなかった。ほほほ

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