大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 音韻学

みしとくれ(3)

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私:今夜もみしとくれ(=みせとくれ)みしとくれ(2) の話の続きを。
君:飛騨に伝わるひな祭りのお遊び・がんどうち、の歌詞ね。どうしてそんなに拘るの?
私:節分が過ぎて桃の節句が近いから。尤も雪深い飛騨では旧暦で祝うので四月三日だ。
君:今夜も音韻のお話とは。「みせて」が「みして」に変化、ちょいと母音の交替をしただけの事じゃないの。然もその理由は音声学的な問題で有声音の無声音化、そして幼児語、それで説明は十分よ。
私:音韻学の事も少し付け足したい。古語動詞に「みす」「みゆ」などがある。これが使役動詞「みせる」になった日本語の歴史について考えたい。
君:近世語という事ね。平安文学じゃないわね。
私:うん。奈良・平安の使役の助動詞と言えば「す・さす・しむ」。大学受験で学んだ。室町・江戸あたりは「する・さする・しむる」。
君:「せる」が出てこないわね。
私:近世語だね。但し、これは中央ではなく田舎の言葉という事で、助動詞とも、サ変動詞とも、なんとも言い難い品詞だが、活用は、せ・せ・せる・せる・せれ・せよ。中部地方の方言といってもいい。古語動詞「みす」では使役の意味が判りにくいので、「見」+「せる」の言葉になったのだと思う。複合動詞と考えるのか、動詞+助動詞と考えるのか、まあどちらでもいいだろう。
君:どうでもいい事ね。
私:他の例としては共通語では「貸す」だが、飛騨方言では「貸せる」などという。こちらは共通語がサ行動詞なので「貸しとくれ」になる。飛騨方言で「貸せとくれ」というかどうかは、微妙な問題だね。ぶっ
君:こちらは無声音+母音調和という事で、「貸しとくれ」が「貸せとくれ」よりも圧倒的に言いやすいので、飛騨方言でも「貸しとくれ」という事のほうが多そうね。
私:そう。日常会話だからね。言いやすいほうを選択で決まり。活用は、つまりは文法はあまり関係ないかもしれないね。
君:それに方言なのだから日本語の乱れとは言わないわ。でも、うっかりポロっと口に出すとお里が知れてしまうわね。 ほほほ

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