大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
ジャガイモ(3)新潟と福島の「せんだいも」 |
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私:飛騨方言ではジャガイモの方言量が10である事と、これら10通りの表現の歴史的変遷について述べた。語源についても詳述した。せんだいも、の語源は飛騨代官・幸田善太夫高成だ。こうやって方言千一夜が続く。 君:またまた、たかがジャガイモよ。いまさら何を。 私:まあ、そうおっしゃらずに。副題の通りだが、実は、せんだいも、は新潟(西頚城)と福島(石城)の方言でもある。先ほど気づいた事だが、この謎解きが出来たのでは、と考えている。 君:あら、若しかして善太夫代官様の経歴をお調べになって、彼は飛騨に赴任した後に、越後と磐城(いわき,=石城)にも赴任なさったのかしら。 私:いや、それは有り得ない。善太夫は延享2年(1745)7月に飛騨代官を命ぜられて着任し、寛延3年(1750)6月6日に高山で病没した。だから、新潟と福島の「せんだいも」の語源は善太夫芋ではない。 君:勿体ぶらずにあなたがお思いつきになった結論をお披露目してね。 私:同時代の幕府旗本・中井清太夫(せいだゆう)が新潟方言と福島方言の語源だろう。まあ聞いてくれ。彼も善太夫と同じく甲府代官時代に甲州全域にジャガイモ栽培した。山梨県では、せいだゆういも、で知られる。幸田善太夫が飛騨にいたのは五年だったが、実は中井清太夫の活躍はもっと長い。安永3年(1774年)甲斐国上飯田代官となり、同6年(1777年)甲府代官に転じ、同7年(1787年)陸奥国小名浜代官に転じ、同8年(1788年)江戸詰めの関東代官となった。清太夫芋は甲斐一国に留まらず、信濃、越後、上野、下野等まで普及していった。新潟と福島では元々が、せいだゆういも、と呼ばれていた事は想像に難くない。 君:なるほどね。関東を中心として、せいだゆういも、の分布が最も多いものの、新潟と福島の二か所でのみ、せいだゆういも -> せんだいも、の音韻変化が生じたのでは、と思いついたのよね。 私:その通り。当然ながら裏付けが必要だが、今現在のところは資料が無い。江戸時代の越後と磐城の農業資料といったところだが、うーん、ちょっと僕のようなアマチュアにはお手上げ。 君:如何にもありそうな話という事で、学問的には無価値かもしれないこの記事だけれど、一応の理屈は合っているわね。ほほほ |
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