大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
気の毒 |
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私:飛騨方言における気の毒を表す語彙を羅列してみたい。 君:要は感情語彙ね。喜怒哀楽の哀。 私:そう、今夜も飛騨方言の形容詞による感情表現ってなところだが、話を進める前にひとつ、大切なポイントがある。ヒントは主観と客観。 君:なるほど、形容詞には実は二分類があって主観、つまりは話し手の気持ちを表す形容詞と、もうひとつは物事を客観的に表現する形容詞。 私:そうだね。うれしい・かなしいなどが主観表現の形容詞であり、高い・赤いなどが客観表現の形容詞。日本最強の形容詞の通りだが、これを言い出したのが時枝誠記。東大の国文学科教授。 君:誰でも思いつく事だけど、最初に言う事に意義があるのね。 私:そう。コロンブスの卵と同じ。さて、気の毒の意味だが、気って何? 君:気分、気持ち、気立て、気性、等々かしら。 私:勿論そうだが、大切な点は、自分の気分・自分の気持ち、という事。従って、気の毒というのは、自分の心にとって毒である、という感情を表現する言葉だね。例え相手が気の毒な状態であっても、それを可哀そうな事と感ずるのは相手ではなく自分の心だ。それはともかく、飛騨方言の気の毒の表現と言えば、まずは「かわいい」。 君:つまりは飛騨方言「かわいい」には「可哀そう」という意味もあるし、「可愛らしい」という意味もあるのよね。 私:ああ、「おじいさんに死なれて、かわいいばあさん」という飛騨方言だが、夫に死なれてもニコニコと愛嬌を振りまく事ではない。打ちひしがれておられる御姿が正視に耐えない、という意味だ。同音異義語ゆえ、意味を取り違えると大変な事になる。 君:「かわいい」の語源は「かほはゆし」だけれど、「はゆし」そのものが「まばゆく思われる・きまりがわるい・てれる」の意味に分裂しているので、古典ですら口語訳が難しいのよね。 私:そう。解釈したい放題というわけだ。所詮、男には女の心はわからない。逆もまた真。気の毒の表現の第二弾は「しょうし笑止」。 君:笑止千万の笑止が、どうして気の毒の意味なのか、説明が要るわよ。簡単にお願いね。 私:うん。笑止は後世の当て字。語源は勝事。つまりは立派なさま、健気なさまを表していたが、いい子ぶっちゃって、という意味に代わった瞬間に笑止の当て字になってしまった。飛騨方言でも二つの意味があり、「健気なさまが正視に耐えられなくてお気の毒」の意味と「何を馬鹿な事やってんだい・笑っちゃうぜ」の意味。つまりは正反対の意味の同音異義語になっている。 君:他にも気の毒の意味の表現は無いかしら。 私:形ク「おぞい」だね。語源は形クおずし強。意味は殺伐(さつばつ)なほどに気の強いさま。文字通り、飛騨方言「おぞい」は「まったくもって良くない・悪い典型・あんな奴の顔は見たくもない」の文字通りの意味でも使うし、「ひどい仕打ちというしかなくそんな災難に巻き込まれるのはお気の毒というしかない」の意味でも使う。つまり、これも同音異義語。 君:つまりはどれもこれも同音異義語。意味が分かりにくいのね。 私:ははは、ご名答だ。主観表現の形容詞の落とし穴は、自分が抱く感情は言葉数を多くして、丁寧に説明を尽くさないと自分の感情が正確に相手に伝わらない。 君:つまりは、ボソッと一言は御法度ね。でも、そのほうがパンチが利いて効果的な表現の事もあるわよ。ほほほ 私:君って、かわいいね。 君:どういう意味? 私:その笑い声が愛らしいという意味ではなくて、せっかくのこの奥ゆかしい飛騨方言をボソッとひと言だけ発して人の心をグサリというのは如何なものでしょう、という意味だ。 君:あれ、かにな(=堪忍ね、御免なさい)。これならどう? 私:いいね、その飛騨方言!かわいいね。 君:ほほほ、どういう意味? |
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