大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考 |
まぜ(馬瀬) |
戻る |
私:今日の地名は「まぜ」。下呂市の小さな村。 君:ほほほ、わかるわよ。今までずうっと勘違いして「ませ」と読んでいたのでしょ。 私:えっ、ばれたか。実は今日は例によってソロツーリング。41号を北上、昨日に上梓した「四美」へ行って来た。 君:どうだった。62年ぶりの四美は。 私:川の光景は記憶に近いような、近くないような。それより、意外とこじんまりとした村だったな。 君:皆がそうなのよ。卒業した小学校のグラウンドと同じよ。 私:そうだね。大人になって懐かしさのあまり訪れるとびっくりするほど狭くて、記憶をリセットするのに躊躇するんだよね。今日は四美の裏山もずうっと走ってみた。南飛騨健康道場という施設があった。その奧は林道だ。土砂崩れで行き止まりだった。 君:まあ、土砂崩れ。怖い事。いいから馬瀬のお話にしてね。 私:ああ、萩原に戻り、新日和田トンネル経由で馬瀬村に入り、岩屋ダムを通過、郡上ルートは矢張り土砂崩れで通行止め。飛騨金山には寄らず関市上之保経由で可児市の自宅に戻った。 君:あちこち、走り回っているのね。気をつけて走ってね。 私:有難う。でも岐阜県全体が中庭みたいなもんだ。神岡にも頻繁に行っているよ。 君:まあ。 私:地形が頭に入ってしまっていて、ナビも必要ないし、道路案内も見ない。だから「ませ」かと思っていたんだよ。 君:今日はたまたま「Maze」の道路案内が目に飛び込んだのでしょ。 私:その通り。 君:となると、ツーリングどころじゃなくて、地名の由来が気になってしかたなくなったのね。 私:ははは、よくわかっているじゃないか。 君:それで、結論は? 私:結論としては、どうもはっきりしない。ただし斐太後風土記に依れば「馬瀬郷ト号シハ馬瀬川ニ依レリ。馬瀬川トハ其水源楢谷(ナラダニ)の竜馬嶺(リュウガミネ)ヨリ出レバ、其名ニ負シトナリ」。これくらいで勘弁してくれ。 君:初めに馬瀬川ありき、と記載されているのね。楢谷というよりは川上岳(かおれ・)かしらね。 私:そうだね。但し、オートバイ野郎的には・・・ 君:ほほほ、西ウレ峠でしょ。 私:そう。高山市清見村との境の峠。 君:つまりは日本の大分水嶺。馬瀬川は太平洋側。清見村と高山は富山湾に注ぐ宮川。 私:つまりは川上岳は分水嶺の山で、地元の人々にとっては霊験あらたかな山だね。 君:民話も多いのよね。 私:ウサギ伝説が有名だな。 君:馬瀬のお話がちっともないわよ。 私:それじゃあ、本題。古語辞典に「せ瀬」はあるが、「ぜ瀬」は無い。 君:お名前も「ませ」さんよね。 私:それがそうでもなくて、先ほどみたら「まぜ」があった。笑ってしまうのが「ばせ」、これもありました。 君:笑っちゃいけないわよ。 私:失礼しました。謹んで言い改めさせていただきます。大変にユニークな読みでした。 君:全国の地名でも「ぜ瀬」が含ませる地名って無いんじゃないかしら。 私:多分、そう。先ほど、数分ネット検索した限りでは。 君:じゃあ「まぜ」の読みは大切にしなくてはいけないわね。 私:勿論だ。ところで一般語となると「瀬々・瀬瀬(せぜ)」という単語があった。せぜ【瀬瀬】《「せせ」とも》1 多くの瀬。「宇治川の―のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも」〈万・二四二七〉2 その時々。折々。「見し人の形代ならば身に添へて恋しき―のなで物にせむ」〈源・東屋〉 君:夫選びのコツ。浮舟の母の体験的結婚観よ。 私:昔お逢いした人(大君)の形見ならば、いつも大切にそばに置いて、大君をお偲びするその折々のマスコット人形にしよう。 君:奥様を大切になさいね。 私:ありがとう。君こそ。夫婦円満が人生の基本だね。 君:それと親子関係。子供に尊敬されたら最高の幸せよ。 私:ははは、僕の事だ。子供の出来が悪いのもまんざらじゃない。ぶふっ 君:あらご謙遜を。優秀な娘さんで。 私:いやいや。ところで自分の葬式では孫に号泣してもらいたいと思っている。 君:ほほほ。絶対に叱らない事よね。親に任せておけばいいわ。 私:話を戻そう。「せせ」でもいいけど「せぜ」になるのは連濁の法則だよね。 君:「まぜ」も連濁ね。 私:しんがい(新開)にチラッと書いたが、そもそも連濁は法則ではなく「き・ま・ぐ・れ」じゃないかと考えている。 君:つまりは馬瀬の地名もそうではないかと。ほほほ |
ページ先頭に戻る |