大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 地名考

おさき(尾崎)

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私:今日は尾崎という地名の代表で下呂市萩原町尾崎のお話でもしよう。
君:つまりは尾崎の由来ね。
私:代表といったが、岐阜県には尾崎の地名は実は二つしかない。ひとつは萩原、もうひとつは各務原。
君:へえ、資料があるのね。
私:角川日本地名大辞典だ。各県別に発行されている。所有するのは21巻・岐阜県だけだが。
君:巻末索引が参考になるのね。
私:いや、辞書形式でアイウエオ順。なにせ地名大辞典だからね。
君:平成の大合併には対応していないのよね。
私:痛い所を突いてくるね。
君:そういう意味じゃないけど。
私:失礼。各務原は尾崎北町・尾崎西町・尾崎南町。全国的にそうだが、尾崎の名がつく地名には共通項がある。
君:尾の先端(さき先)だから尾崎なのよね。
私:勿論、つまりは裏手が山である、というのが前提条件。
君:飛騨は山国で平地なんて無いに等しいのに、飛騨にたったひとつ尾崎の地名というのもおかしな事よね。
私:ああ、そうだね。ところで先端というのは尾根の天辺、頂上という事では無いよね。
君:当り前よ。山の天辺に人の住む場所は無いわ。つまりは尾根、山の端が平野と交わる場所が尾崎に決まってるじゃない。
私:ははは、その通り。岬もそうだよね。
君:みさき、なるほど、「み海」に接する陸の「さき先端」だからだわ。海崎。岬は当て字ね。
私:近江の海、あふみのみ。だから「海」を「み」というしね。尤も、近江は「あはうみ淡海」、つまりは淡水湖を海に見立てているからだ。近江の海は海が重複している。
君:脱線しているわよ。
私:萩原町尾崎の話に戻ろう。名前の由来は斐太後風土記「位山(くらいやま)・川上岳(かおれだけ)に更なる山の尾の崎に位置する事による」との記載がある。
君:国立国会図書館デジタルコレクション。便利な世の中になったのね。
私:情報爆発、ってやつだよね。
君:地名の由来がわかったので、はいおしまい。
私:おい、待ってくれ。実は以上が前置き。
君:えっ、まだあるの。
私:そう。等高線図。
君:グーグルマップかしら。
私:なにいってるの。なんて言っても国土地理院地図だよ。ここ
君:なるほど、さすが国土地理院。等高線図が実に詳細ね。
私:という事で大変な事実に気づくでしょ。
君:えっ、よくよくわからないわ。
私:尾崎という地名はもとより山之口川と飛騨川が合流する切り立った尾の先端という地形が由来だ。ところで、この稜線を注意深く観察すると尾根伝いに一番に高い山は実は高山市久々野町の舟山(ふなやま)。舟山は久々野町の麓の家々からも、久々野中学校からもよく見える正に久々野町民のオラが山。尾崎は実は舟山のすそなんだよ。萩原の人々にとって大切な山が位山(くらいやま)と川上岳(かおれだけ)、この二つである事は僕とてよく理解できる。昔の人々は素朴に近くにある山、位山・川上岳、の稜線が山之口川と飛騨川、この二つの川の合流点に達していると想像して斐太後風土記が記述されたが、実は間違いだ。萩原町尾崎は実は尾崎から随分と遠くにある舟山の稜線の南端である、という事を国土地理院地図は教えてくれる。
君:事実は小説よりも奇なり、よね。
私:それにしても尾崎小学校へ通う山之口部落の子供達も大変だよね。グーグルマップで距離測定をしたら片道5キロ以上だ。当然ながら今の時代はスクールバスだろうか。小学一年の子供が歩いたら片道二時間だよね。この道はオートバイでよく散歩している。
君:昔の子供は頑張って歩いたのかしらね。
私:故・都竹通年雄先生を知らないかい。元富山大学人文学部教授。日本を代表する方言学者。ご出身が尾崎。飛騨出身者としては唯一の方言学の権威だ(その一 その二 その三)。岐阜県の大御所は岐大の山田敏弘先生。岐阜市のご出身。阪大・徳川先生のお弟子さん。
君:都竹先生はご幼少期に萩原をお離れになったのね。不遇の青春時代。病床生活。
私:然し、先生は生涯、故里・萩原町尾崎を忘れなかった。記憶力のいいお方だね。僕の場合、小学低学年の事は、あまり覚えが無い。
君:小学校の時はよく遊んだわ。
私:僕もだ。男の子は山へ冒険に行く。トムソーヤだ。
君:マーク・トゥエインね。
私:米国留学時代に彼の住まいを訪れた事がある。ここ。うん、赤い家だった。テラスにブランコがあったな。東海岸にある名所史跡は徹底的に見て回ってきたよ。帰国時には家族三人が一文無しだった。ははは
君:良く学び、よく遊べ。ほほほ

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