大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

くじな(たんぽぽ)

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私:飛騨方言ではタンポポの事を「くじな」というのだが、既に死語に近いのでは、と思う。この言葉については既に二編、書いている。飛騨の植物語彙くじなの語源
君:「ふちな布知菜」「なたな名多菜」が語源という事でいいのでしょ。平安時代の言葉。
私:実は角川古語大辞典全五巻には両方の名前の記載が無い。つまりは日本で唯一の古語辞典エンサイクロペディアをしても古語を全て網羅する事は不可能という事。日本語の語彙というのは上代から全てを数えると、つまりは重なり語数は数十万、いや百万に届くのではなかろうか。古語辞典で読めるのは古典文学だけ。愛読書・教行信証を読めるわけで無し。ところで、それはさておき本日は手元資料から新事実。三省堂・現代語から古語を引く辞典にはタンポポの古語として「ふぢな藤菜」「たな田菜」の記述があった。「ふぢな」が語源となると「ふぢな」から「くぢな」への音韻変化、中世に四つ仮名が二つ仮名になった時点で「くぢな」から「くじな」への音韻変化が生じたという事になるのだろうね。
君:四つ仮名について簡単に説明なさったほうがいいわよ。
私:そうだね。四つ仮名弁
君:「ふちな布知菜」から「ふぢな藤菜」になった可能性があるわよ。あるいは「ふぢな藤菜」から「ふちな布知菜」かしらね。
私:音韻変化はステップが少ないほどいかにもありそうな話になる。だから素直に「ふぢな」から「ふじな」、つまりは中世の四つ仮名の消滅、そして「ふじな」から「くじな」、つまりは子音交替、この二段階と考えるといかにも有りそうな話という事になるね。
君:とりあえず今日の結論はタンポポの語源はふぢな藤菜。
私:いやあ、実は方言学的観点から、とてもひっかかる事がある。
君:どういう事?
私:実は「くじな」は全国の方言になっている。八坂書房の日本植物方言集成では、木曽、信州、青森、宮城、山形、福島、群馬、神奈川、山梨、飛騨、神奈川、新潟、三重、大分。
君:「くじな」は古語に由来している事には間違いないわね。
私:「ふじな」が方言になっている地方がたったひとつある。大分県大分市だ。
君:大分市に古語が残っているという理解でいいんじゃないの。
私:まずは常識を疑ってみよう。元々は上代に「くぢな」だった可能性は無いだろうか。だから全国的に広範囲に方言として残っているのでは、と考えたいんだ。「くじな」から派生する音韻の方言も全国に散見される。「くじっけぁ」「ぐしな」「くじゅーな」「くじゅな」「くずくい」「くずくいな」「くずな」「くちな」「ぐちな」等々、きりが無い。タンポポの方言量が多い事は僕には容易に理解可能だ。子供がかってに好きな名前をつけるからだ。そしてそれは文献にも、古語辞典にも表れない。唯一、方言の形で各種の方言出版資料に死語として記載されている。今あげた沢山の言葉の語源が「ふちな」「ふぢな」だと思うのは難しい話だ。元々が「くぢな」だったとすれば一番にスッキリと解釈が可能でしょう。唯一、大分市でのみ「くぢな」から「ふじな」への音韻変化があったとすれば、これも合点が行きやすいと思う。
君:多数派の論理ね。民間語源で陥りやすい誤りだわ。
私:でもカ行の音はなかなか音韻変化しないのが普通でしょ。例えば日本で最古の名詞の代表といえば「くち口」。記歌謡12。古事記が方言学に与えている恩恵には計り知れないものがある。一千年以上たっても、全国的に「くち」は「くち」だ。一体全体、「くち」と「くぢな」の二つでどれだけの音韻の違いがあるというんだい。
君:そういえば、「くじな」で突然に思い出したわ。クジラの時計は今、クジラ♪ 乳児も「く」を覚えたら、その後、「く」の音韻が変わる事はないわね。
私:脱線ついでだ。今、三才の孫が沢山の歌を覚えていて楽しそうに歌っている。それが既に歌詞が名古屋方言っぽくなっているんだよ。「すうじのしちはなあに♪」が歌いづらくて「すうじのひちはなあんかに♪」になっちゃうんだ。一歳の孫たちもワアワア、歌っている。
君:ほほほ、貴方の得意理論、個体発生は系統発生を繰り返すという生物学理論の方言学への応用ね。子供の生涯の音韻変化は日本語の古代から現代までの音韻変化と同じであるとかいう。個体発生は系統発生を繰り返す
私:日の目を見なくてもいい。でも、いろんな事でこれが当てはまるので一人、ニヤニヤと楽しんでいる。詳細はいずれまた。
君:「くじ(け)な」いでね。応援するわ。

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