(飛騨方言でかにな)そういゃあ、きんのう4.14ぁ飛騨高山祭りやったさ。
わたしゃ飛騨方言ペラペラやけど、実は生まれ育ちゃあ旧高山市よりちょびっと太平洋側で、太平洋と日本海の分水嶺の村のひとつ、
戸数が数十戸っていう、"ど"が三つも付く"どどど"田舎やもんで、正直言うと高山祭りってあんまり知らんのやさ。
自分どこの村祭りならいっくらでも筆が運ぶんやけどなあ。
アルバムのセピア色の写真みるとなあ、ちんびくさいおりぃと親父が高山祭りで中橋んどこにおるんやけど、
全然おぼえがないんやさ。小学校・中学校の時やけど、あのじぶん(=あの頃)一回か二回見に行った事ぁ少しゃ覚えとるけどなあ。
ところで高山祭りってても、春の祭りと秋の祭りの二回あるんやけど知ってござるかな。
おんなじ神社で年に二回お祭りやるなんていうおめでたい話ではないんやけど。
大きい神社が二つあって、ひとつは春祭り、ひとつは秋祭りで共に高山祭りやさ。
伝統行事やで西洋式に日曜日にやるっていう事でゃないもんで、小中学校時代 × 春秋で十八回
のチャンスぁあってもえな、日曜日の確立ぁ七分の一やろ。
18x1/7=2.57やもんで、やっぱり、わしゃ多分チャンスぁ全て利用して日曜日に見にいったんやさ。
それにまんだ、考慮せにゃならんファクターぁあるしなあ。祭りが、ねぐさるって事やさなあ。
ねぐさるっていゃあ、雨で祭りがパーになってまう事やさ。
もしねぐさっとりゃ、わざわざ祭り見に行くこたぁなかったろうし、ちいさいじぶん(=幼い時)の自分んどこの村祭りのねぐさりぐあいなら
全部、頭んなかにしみこんどるんやけど、ちいさいじぶん(=幼い時)のことやし、
高山祭りのねぐさりぐあいぁ、ちょーっと覚えがないんやさ。そりゃあ九年の間にゃあ、一回以上ねぐさっとるろ。
そやけど、高山祭りでゃあ、あのからくり人形ってのにびっくりこいたとか、
屋台の彫り物ぁ左甚五郎の作やとかで感激したごとやとか、懐かしい想い出やさなあ。
高校三年ぁ高山の高校通ったんやけどえな、三年間ともねぐさらなんださ。
一年んどきゃ、クラスの隣の席のやつんどこへ放課後におよばれにいって、腹いっぱい、
ごっつぉ(=ご馳走)になったさ。二年と三年どきゃ市内でお風呂屋さんやっとる
祖父母のうちへちょっと寄っただけでなあ、そのじぶん(=その頃)は勉強第一やったし、
銭だけもらって、祭りも見ずにすぐにバスに乗って、うち帰ったさ。
高校卒業して飛騨はなれて十数年たったんやさなあ。
結婚してすんと(=してすぐに)、たまたま日曜が高山祭りの日があったんやさ。そやもんで、
名古屋に当時、住んどったんやけど、
張りこんで(=張り切って)泊りがけで新奥様つれて高山祭り見にいったさ。
勿論、その事ぁ四半世紀たってもきんのうの事みたいによう覚えとるんやけど、飛騨の山猿みたいなおりぃが都会のお嬢さんと
結婚してまったもんで、せめて高山祭りぐらい見せにゃ絶対だしかんって、そのじぶん(=その頃)は思ってまったんやさなあ。
この高山祭りがわしぃにゃ今までで一番思い出深い高山祭りやさ。
それからやけど、何十年もずうっと休まんずと働き続けて高山祭りに行ったって事がないんやさなあ。
そんでもえな、あと何年か生きとりゃあ、ひょこっと日曜日に高山祭りってごとがあるんでないがろ。
そしゃ(=そうすれば)そんなどきに、つまりは、またいつかのじぶんに(=いつの日か)家内と若い日の思い出の高山祭り見に行くってごとにするさ。
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