大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 古代 |
五段可能動詞「おぼわる」成立は奈良時代です。 |
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私:飛騨方言の動詞「おぼわる」について、この一週間ほどで立て続けに四つの話題を提供した。 1.飛騨方言動詞の可能表現 2.「おぼわる」のパウル説 3.「おぼわる」・ソシュール学的立場 4.「おぼわる」の音韻 第四稿では「おぼわる」の成立した時代は奈良時代である、と直感に基づいて記載したが、その後に更に気づいた事があって、そんな話でとりあえずは「おぼわる」の話題は締めくくりにしようと思う。正直言って、ここまで深堀り出来るだろう事は予想はしていなかった。でも全ては古典の文語文法の知識できちんと説明がつくんだ。 君:前置きは短く、結論も簡潔がいいわよ。 私:そうだね。では。「おぼわる」は五段動詞だが、「覚える」は下一段動詞、こんな事になってしまった原因がたったひとつあるよね。その辺は釈迦に説法だ。まずは非礼をお許しいただきたい。 君:実は「おぼわる」「おぼえる」共に語幹は同じ、つまり四段動詞「おもふ」から派生した動詞なのに、これら動詞に接続する助動詞が異なるからよね。 私:そもそもが奈良時代という短い時代に「おもふ」という動詞があって、「おもはゆ」「おもほゆ」「おぼゆ」と三段階を経てあっという間に「おもふ」「おぼゆ」の二つの動詞が使われるようになっちゃったんだよね。その後、平安時代から現代に至るまで、行け行け双子の動詞、という事で、五段「思う」と下一「覚える」の動詞として生きているのか現代口語文法という訳だ。 君:つまりは上代の自発の助動詞「ゆ」の存在が双子動詞成立の原因だったのよ。よく気づいたわね。 私:ではおしまい、では味気なし。チコちゃん風に解説して行こう。飛騨方言では「おぼわる」「覚えられる」というけど「おぼわられる」と言わないのは何故でしょう? 君:飛騨の人たちがかってにそう決めたから、は答えじゃないわね。 私:その通り。答えは奈良時代の助動詞「ゆ」の未然形が「わ」じゃなくて「え」だったから。 君:ほほほ、それにも気づいたのね。本質を見抜いているわ。満点よ。 私:もう少し、詳しく説明しよう。奈良時代に奈良の都には四段「おもふ」があった。これに自発の助動詞「ゆ」が四段に接続するのが貴族に広まるが、助動詞「ゆ」の活用は下二形で「え/え/ゆ/ゆる/ゆれ/えよ」従って未然形は必然的に「おもほえ」「おぼほえ」になる。その一方、「おもふ」未然形に可能の助動詞「る」、その活用は下二形で「れ/れ/る/るる/るれ/れよ」、これが「おもふ」に接続すれば未然は「おもはれ」、終止形は「おもはる」になるわけだ。 君:つまりは飛騨工が故里・飛騨に奈良の都から「おもはる」という言葉の土産を持ち帰ったという事なのよね。素敵な歴史ロマンよね。 私:ああ、そうに違いない。一年も都に出張して村に帰ってきた父が「おもはる」という都の言葉を話せば、なんてかっこいい男、という事だったのだろう。 君:それが音韻のスイッチングで、あらら、いつのまにか村では「おぼわる」になってしまったのよね。もっとも都とて同じ事ね。「おもほゆ」が「おぼゆ」に変化したのだから。奈良時代に都では「ほ」が「ぼ」になり、飛弾では「も」が「ぼ」になったのだから。都の貴族の方々も、飛騨の村々の人達も、日本人は皆が同じ舌の持ち主だったという事なのね。 私:必然的にそうなるね。君とは大変に気が合う。 君:あなた、ふふふ、大変な事を言い忘れているわよ。「おぼわる」が奈良時代の言葉だという重要な根拠を。 私:ははは、先回りされたな。おっしゃる通り、今回のハイライトと言ってもいいが、助動詞「ゆ」は奈良時代にのみ用いられた助動詞で、平安以降は古典文学から姿を消してしまうんだ。だから双子の動詞が生まれたのは奈良時代であって、平安時代の可能性はゼロだ。 君:だめよ。そんな言い過ぎは。「おもはる」が平安時代に尚も都に存在して、平安時代の飛騨工が村に持ち帰った可能性があるのよ。だから、仮に飛騨工が持ち帰ったと仮定すれば、奈良から平安にかけての可能性という事だし、江戸時代に飛弾で「おもわる」が「おぼわる」になった可能性だってゼロではないわ。おそらく奈良時代からの古い言い回しです、という歴史ロマンで締めくくらなくてはね。その一方で、平安時代に上代の助動詞「ゆ」が消滅してしまったのだから「覚える」から「おぼわる」が派生したのではない事だけは百%確実ね。「覚える」と「おぼわる」は表面上は単に一つのモーラの違いだから、そのような音韻の変化は日本語として有り得るかも、と言ってしまう事は国文法を全否定する事になる事を皆様に覚えていただきたいわね。 私:確かにそうだね。そして「おぼわる」の成立年代の問題だけど、数学の素数問題と同じだよな。「おぼわる」は奈良時代から、これはフェルマーの予想と同じ事だね。私は予想したのであって、証明したわけではない。 君:あまり卑下する必要もないわ。大切な予想よ。誰も予想していなかった事を世界に向けて発信するのは勇気が要る事だわ。 私:古典を悉く渉猟して「おもはる」の文例にあたらないと証明には近づけないね。手元にある数冊の古語辞典の文例は全て今のところ、僕の予想を裏付けているのが僕の唯一の心の支えだ。 君:あなたには直観力がある。そう信じなさいませ。 私:ありがとう、いつも優しいお言葉を。 君:ところで、若しかして中部地方の方言「おぼわる」は飛騨工のなせる技で、高山市が発祥の可能性があって岐阜市や名古屋市にまで伝わったのかも、などと言いださないわよね。 私:いや、可能性としてはあるね。地元の人間が地元をひいきしてどこが悪いんだい。僕の心の中には、最強の飛騨方言、飛騨方言最高、という気持ちが常にある。第一に、成書にもどこにも、今回の一連の議論の展開のようなテーマは書かれていない。つまりは四段未然形+「る」は、まだ世の中の誰にも知られていないんだよ。それが奈良時代に成立した可能性が高い事も。後世が僕を評価してくれるだろう。いや、評価なんて関係ないな。僕は方言の謎解きが面白くてやっているだけ。誰の為でもなく、自分の為に勉強している。君の為じゃない、ははは。でも、これって大切な事だ。 (いかくる)君:ほほほ、そう思うのはあなただけ。どうぞお勝手に。あなたが謎解きしようがしまいが私は変わらない。でも、私にはあなたがかつての私をこの方言の世界に引きずり込もうとする意図が見えてきます。その手には乗らないわよ。夜をこめて/斐太語の歴史/計るとも/よに/あふ坂の/関は許さじ/ほほほ まとめ 奈良時代に存在し、その後消滅した下二助動詞「ゆ」。「おもほゆ」「おぼゆ」「聞こゆ」「見ゆ」等の下二複合動詞が出来ました。おっとどっこい、「ゆ」は「ゆる」が「あり」「言ふ」の未然形に接続した連体詞「あら/ゆる」「いわ/ゆる」として今も生きています。可能の助動詞「る・らる」は四段動詞未然+「る」、あるいは下二動詞未然+「らる」の接続規則なので、従って四段「おもふ」+「る」、下二「おぼゆ」+「らる」はそれぞれ「おもわ/る」「おぼえ/らる」になります。更には文語「る・らる」は口語「れる・られる」です。従って口語では「おもわ/れる」「おぼえ/られる」になります。飛騨方言では文語「おも(ぼ)わ/る」として今も生きていますが、成立時期の最古の可能性としては奈良時代です。 言いたい事はたったひと事、日本語動詞の起源です。意味は全く同じなのに歴史的に「おぼわる」は二品詞の、「おぼえられる」は実は三品詞の、複合動詞という事です。 |
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