大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
混交と複合 |
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私:いよいよ当サイトも佳境に入った。 君:つまりは左七は語源論が大好き。 私:当サイトの序にも書いた通りだが、五十年以上前、斐太高校に進学し古語辞典を買った。数週で読み終えたよ。「やくと」を発見した時の感激が忘れられない。飛騨方言では、わざと、の意味だが、役目として、が語源らしい。妙に納得。 君:前置きはいいから表題について説明してね。 私:学術語としての混交とは、特に語源学に於いて、二つの言葉の一部分どうしを繋ぎ合わせて一つの言葉が出来る事。よく例に出されるのが肩車。カタウマ肩馬とテングルマ手車が合わさった言葉だ。古語辞典に記載がある。江戸語辞典にも記載がある。つまりは肩車は語誌的には近世語であり、語源学の立場からは肩馬と手車の混交。 君:なるほど、そうやって一部の言葉は語源が解き明かされるのね。飛騨方言にも例があるかしら。 私:うーん、あまりないな。パッと思いつかない。 1.しゅうえん(=結婚式披露宴) 2.高山LOVER/飛騨弁バージョン 3.飛騨・あるかまいか、美濃・あるこまいか 4.越中東街道 5.そもそも飛騨方言のサ行変格活用(サ変) 6.日本語はどうやって生まれた? 君:簡単に総括お願いね。 私:1は祝言と酒宴の混交、 2は「何度ここへ来とったって」の歌詞がはネオ方言にて、ネオ方言の定義は標準語と方言の接触による混交形式。3は動詞の未然形が二種類(あ、お)なのは何故かという命題で、開合の区別でも説明される。つまり3-5は微妙。 君:でも越中と北飛騨はほんの数十キロしか離れていないのに、越中方言と北飛騨方言の混交の例が無さそう、という事は、つまりは異なった方言同士では混交は生じにくいという意味じゃないかしら。 私:正にその通り。同一の方言の中で日常語として頻繁に使われる意味の似通った言葉がいつのまにかひとつの音韻になる、これが混交の本質だ。東京語と畿内方言に混交があるかも、などと言う事はおおよそ考えられない話だと思えばよい。 君:なるほどね。 私:それともうひとつ、耳学問としてお伝えしたい事がある。 君:なあに。 私:混交は元々は English etymology からきた言葉で contamination の和訳。文字通りに訳すと汚染という事になるが、これを混交と和訳なさった人は素晴らしい。汚染というのはいただけないね。言葉のキメラ状態が混交であり、言葉が汚染したわけじゃないでしょう。 君:そりゃそうだわよ。 私:続いては複合のお話。これについては言葉には合成語があるとか、複合語があるとか、アクセント学で別の意味で用いられる事があるが、語源学に於ける複合の定義とは二つの言葉がそのまま接合して新しい言葉が生まれる事。これは各地の方言においてそれなりの数があると思う。 君:飛騨方言の具体例は? 私:ははは、しょーらいとんぼ。赤とんぼの事だ。 君:なるほど。しょーらい、は蜻蛉(せいれい)の事、とんぼの古語よね。 私:斐太高校と言えば蜻蛉章。 君:白線流しの斐太高校。フレーフレー、蜻蛉章。 私:実は蜻蛉章は斐太高校の専売特許ではない。松本深志高校も蜻蛉章なんだよ。 君:あら知らなかったわ。校章にトンボの意味は何かしら。 私:せいれい蜻蛉の古形は、あきづ蜻蛉。日本の国は元来は、あきつしま秋津島、と呼ばれた。秋津は大和の国の吉野川の北岸たる宮滝付近一帯を示す地名だったが、大和朝廷が成立してからは秋津(島)は日本(と言う島国)の意味になった。これにかけて、つまりは日本一の生物で大空をはばたいているから、というような意味合いがある。 君:あきつ秋津・あきづ蜻蛉、これは混交ではないわね。ほほほ 私:ええ、混交ではありません。強いて言えば混同。 君:混同じゃ校章が可哀そうよ。強いて言えば同一視ね。ほほほ |
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