大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
にわる(=にぎわう)2 |
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私:この数日だが飛騨の俚言にわしい(=にぎわしい)、にわらかす(=にぎわす)、にわる(=にぎわう)、について述べて来た。これを一言で著すと品詞の転成。「にわる」という自動詞から二つの品詞が出来た。ひとつは「にわらかす」という他動詞、もうひとつは「にわしい」というシク形容詞。この二つの品詞の転成は国文法のロジックにあっている。 君:まあ、そうね。今夜の主題はなにかしら。これ以上、議論する事も無いと思うけれど。 私:今夜は、どうしてそもそもがハ行四段動詞であるところの「にぎはふ」が飛騨方言ではラ行化して「にわる」になったのか、という疑問について考えよう。 君:まず最初の暴走、つまりはきっかけがあるわね。それは一つのモーラ「ぎ」の脱落でしょ。 私:正にその通り。飛騨方言では「にぎはふ」が「にはふ」になった。いつの時代かは判然としないね。「にぎはふ」の文例が宇治拾遺、新古今辺りに出てくるから鎌倉あたり。つまりは飛騨方言「にはふ」は中世から近代に至るどこかの時代に生まれた。その品詞の転成はさらに後代という事になる。もう一つの大きなは命題は、どうしてハ行「にはふ」からラ行「にわる」になったのか、という疑問だが、これも国文法のロジックが働いたのじゃないかな。 君:どういう事? 私:つまりはハ行からア行へ変化した(にはふ->にわう)。続いてはア行からラ行へ変化した(にわう->にわる)。ハ行四段活用をご参考までに。でも、これは表層の現象を捉えただけの事。要はそのような音韻変化があったという事を示しただけだ。 君:あれこれ、周りくどい事を書かないで結論を簡単に書いたほうがいいわよ。 私:そうだね。ア行からラ行に転成した理由は誤れる回帰の現象だ(例)。過剰修正とも言う。誤れる回帰つまりは、動詞の最後から二つ目の拍がア列の場合は、ア行動詞もラ行動詞も連用形は促音便になって同一の音韻になるから、と言うのが理由。例えば、逢う(逢って)・有る(有って)。このような混乱が生じたからでしょう。つまりは、「にわって(<=にわう)」がいつのまにか「にわって(<=にわる)」に変化したからじゃないかな。 君:ほほほ、にわって・にわって、と言い続けたら知らぬ間に終止形「にわる」を使い始めたのでは、という推察ね。 私:その通り。先ほどは日本語逆引き辞典で「〜あう」で終わる動詞を探し出し、内省の実験をやってみた。なるほど飛騨方言のセンスにあっている。これは若しかして「にわる」以外の飛騨俚言動詞の発見につながるかも、と期待したのだが、徒労に終わった。収穫はゼロだった。今の所、ア行からラ行に転成したのは「にぎわう・にわる」だけです。 君:つまりは、内省して飛騨方言のセンスにあっていそうだという気持ちになっても、土田吉左衛門・飛騨のことば、には記載がなく、がっかり。これの繰り返しだったのね。ほほほ |
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