大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

(愛しの君へ捧ぐ)何故、松には方言が無いのか

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私:昨日来、柳田國男著「蝸牛考」の紹介をしてきた。そして、それに関してだが、今日はつい先程だが、大発見をしてしまった。
君:「蝸牛考」の内容に関して、という事と表題からすると「方言量」に関して、フト思った事がある、という意味ね。
私:フト思ったどころじゃない。「蝸牛考」の本文に柳田國男が触れていない、つまりは先生もお気づきでなかった事にこの僕が気づいてしまったという事なんだよ。
君:あなたの気づくような事は教科書に幾らでも書かれている事に決まっているわ。ここにお書きになる前にきちんと成書にあたってみたのかしら。
私:勿論だ。手元にある成書は方言学の専門書・書籍だが、全てを読み返してみた。
君:でも、「四つの事実」の本文に、全国調査に基づき松という言葉には方言がない事を柳田先生がきちんとお調べになった事と、そしてその理由は「方言生成の主たる原因が、必ずしも国語の癖・歴史の偶然だったのではない。即ち方言の差異変化を要求する力は目的物そのものにあった、という事にただちに心づかれ」と柳田は記述した、と外ならぬあなたが紹介しているわよ。
私:だから、つまりはその柳田先生の記載が実は間違い、松という言葉には方言がないのは事実だが理由は別のところにあるのじゃないだろうか、という事に僕は先ほど気づいてしまったんだ。
君:ちょっと待ってね。先走らないでね。そもそもが・・・あなたはこの方言学のコーナーの用語詳説として更に総括の章を設けて特集を書いているのよ。方言量の多い語彙として★子供がかってに名付ける(小動物・遊び)★人間の業の深さ(マイナスイメージを持つ人間・程度を表す副詞)★全国に種類が多い(栽培植物・草花)★敬意逓減の法則(親族名称・人称代名詞)・・という事まで既に書いているじゃないの。
私:ははは、ひっかかったな。僕が今まで書いてきたのは方言量の多い語彙についてなんだよ。今回、僕が訴えたいのは、・・どうして方言量が少ない言葉があるのか・・、という問いに対する答え。柳田先生も方言量が240というとんでもなく多いカタツムリに大変に興味をお持ちになり、熱心に研究なされた。ところが松の方言量は1、つまりは方言が少ない言葉については突き詰めてお考えになる事をやめて「目的物そのもの」というたった一言で片づけておしまいになったんだよ。確かにねえ、わからなくもない。松は霊験あらたかな、日本人なら誰でも愛でる木だ。だからこういう霊験あらたかなものには方言が発生しない、とお考えになったという事だよね。桜にして然り。確かに桜は日本の花、霊験あらたかな事は誰もが認めるだろう。
君:でも、松や桜に方言が無いのは別の理由に依るのじゃないか、という事に気づいたのね。勿体ぶらずに結論を言ってちょうだい。あなたの、そのネチネチとした言い方、もったいぶった言い方、はっきり申し上げますけど、だ・い・き・ら・い。
私:ははは、嫌われて当然。では、答え。松に方言が無いのは・・・松は二拍だから。二拍の和語には方言が無い。「やま山」「かは川」全国共通だ。方言は存在しない。更には・・一音節の和語、例えば「き木」「け毛」「ひ火」「い胃」、これらにも方言は無い。要するに音節の長さが方言量と比例する。カタツムリで5拍、デンデンムシで6拍、マイマイツブリで7拍、つまりはとても多い拍数の言葉。だから方言ができる。こんな簡単な事に僕はどうして今まで気づかなかったのだろう。話は戻るが、大慌てで方言学の成書を片っ端からあたった。こんな簡単な事実、小学生でも理解できる国語のイロハが方言学の成書のどこにも書かれていない。それどころか「方言量」という言葉さえ巻末索引に見つからない書物がある始末。極めつけが日本で唯一の方言学用語の辞典・木部暢子著「明解方言学辞典」。同辞典には「方言量」の記載が無い。
君:なるほど、それは問題ね。
私:なるべく早い時期に改訂版が出る事を祈らずにはいられない。辞典という言葉が泣く。内容が粗すぎるよ。
君:でも入門者には役立つ内容になっているのじゃないかしら。あまり下品な書き方はしないほうがいいわよ。
私:だね。言い改めよう、初版にしては上出来だ。さて本論に戻ろう。方言量は音節の長さに正比例するし、一拍ないし二拍の和語には方言が無い、これは 2021/3/2 23:30 日本で初めての大西の情報発信じゃないだろうか。さて自然科学の世界では e-submission & e-publish、そして皆が e-subscription の時代。つまりは本題改め、方言量僅少なる和語成因に関する一考察、は蜩cイノチ・大西の投稿という事で。学問の世界は早い者勝ちの世界、イェーイ。僕は人文科学の世界は知らない。自然科学の世界ではこういうのを letter to the editor というんだよね。活字に出来たら、つまりはネットに公表出来たら僕の勝ち。ぶふっ
君:ほほほ、それはその通りだわ。ところで演繹と敷衍、ひとつ気づくと、貴方の事だから次から次へとアイデアが湧いてくるわよね。
私:ははは、勿論だ。今まで飛騨方言の語源探しに散々、苦労してきた。それでも何年も考えて、語源はこれに絶対に間違いないという答えを導いた言葉が幾つかあるんだ。「てきない」の語源は「たいぎなり・大儀也・5拍」だな。「げばす」の語源は「かけはずす・掛け外す・5拍」、「がで」の語源は「つかいで・使い出・4拍」、等々、元の言葉の音節が増えるほど格段に語源探しは困難になる、これにも先ほど気づいてしまった。要するに、方言量といい、語源探しの難易度といい、全ては言葉の拍数だ。確かに松は崇高な樹木である、だからといって崇高な樹木だから松を敬って日本人の皆様がそれに方言を与えなかったという事ではない。松の言葉に方言が無いのは拍数が3未満だったから、これが一番の理由だ。ところが柳田先生は「蝸牛考」の本文に一言もそんな事はお書きになっていない。つまりは天下の蜩cが気づいておられないのだ。でもくれぐれも誤解の無いように、蜩c先生は僕が一番に尊敬する日本人。生まれた時代が違った事を本当に残念に思う。僕が戦前の人間で「蝸牛考」を読んでいたら直ちに、柳田先生に本日に気づいた事について手紙を書いていただろう。
君:ほほほ、そして柳田先生から、上京しないかね、というご返事があればあなたは迷う事無く、故郷を捨てていたのね。
私:勿論だ。人生は一回しかない。よしやうらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても、好きな事を存分にやる。それが人間にとって一番に幸せな事。それが二人の人生だったんだよね。
君:ほほほ、人生は一回しかないわ。好きな人と結ばれたらいいのよ。
私:それもそうだ。君も僕も縁あって結婚という別の人生を選択した。ところで家内は僕のすべてを理解してくれている。この方言のサイトについても一番のよき理解者だ。ここ数週間以上、中日新聞に岐阜の方言について岐大の山田敏弘先生がコラムで連載しておられる。家内はそれを暗記し、僕に伝える。毎日の夫婦の会話に無くてはならない話題になっているんだ。
君:あらそうなの。よかったわね。家族の励ましは、それはもう嬉しい事だわね。
私:実は子供達も応援してくれている。医者バカにならぬよう、頭の体操にいいからどんどん書きまくれ、との応援だ。
君:認知症予防対策、というか、ど忘れ古語辞典対策かしらね。見損なわないでね、まだ完全暗記よ。ほほほ

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