大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

七「しち・ひち」

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僕:数字の7だが、「しち」か「ひち」かという問題について。既に幾つが書いてきた。すうじのひちS−>H人形佐七七宗町江戸時代の数字考、今日はちょいと総括にしよう。
君:簡単にひと言、シチが正解、ヒチは方言。
僕:まあ,簡単に言うとそんなところ。つまりは日本語の歴史では一部の地方で「シチ」から「ヒチ」への音韻変化が生じた。
君:江戸で刊行された音曲玉淵集では、四・七、をヒ(ひ)のように言うことを戒めていたのよね(山口明穂他、日本語の歴史、東大出版会)。
僕:どうやら近世語として「ヒチ」が生まれたらしい。近世上方語辞典と江戸語大辞典を調べた。
君:結果は?
僕:前者には「ひち・難波方言」の記載があった。後者には「ひちめんどう七面倒」「ひちりん七厘」の二語があった。つまりは明瞭な東西対立はないものの、どちらかというと大阪方言という事らしいね。
君:数字単独では江戸は「しち」だったのかしらね。
僕:ははは、そうなると世紀の大発見。
君:あら、じゃあ違うのね。
僕:東西対立の原則は千年の都・西が古くて、東が新しいのが普通。「ひち」より「しち」が古いのだから。
君:「しち」が古い事を説明してちょうだい。
僕:逆に質問。「しち」は和語か?
君:小学生なら簡単に答えられるわね。7の和語は「ナナ」、そして「シチ」は輸入語・漢語。
僕:その通り。「シチ」は漢語。でも、こうなってくると和語と言っていいかも、と言うくらいに古い言葉だ。どれ位、古いと思う?
君:簡単よ。奈良時代、あるいはそれ以前。
僕:その通り。具体的には懐風藻(751年)、日本人の漢詩集。日本最古の和歌集である「万葉集」よりも先に生まれた。輸入したのは607年から始まった遣隋使。
君:ほほほ、はっきりしている事は遣隋使以前の日本は和語(ナナ)で、懐風藻辺りから「シチ」という事ね。
僕:懐風藻の大半は五言詩だが、数首の七言詩があるらしい。
君:竹林七賢についても遣隋使は学んだのよね。
僕:その通りだ。三世紀中国の人々だね。他には七曜暦「しちえうれき」が輸入された。
君:木火土金水と太陽・月ね。
僕:古代の天文道。インドで生まれ中国に伝わった。
君:インドおそるべし。
僕:奈良時代から和語「ナナ」とちょっといけてる外来語「シチ」の二刀流日本語となった。でも数詞としては圧倒的にシチよりナナが多いよ。
君:虹の七色とか。
僕:どうしてもシチでなくてはいけないのが七回忌、お七夜、七月、七時、七次元、七時限、七里。
君:仏語と天文道はシチでいいのよね。
僕:七宗町ヒチソウの隣が中山七里シチリであるのには笑ってしまう。
君:ゆらぎよね。
僕:ひとつはっきりしている事がある。中国から輸入されたシチという音韻が一部ヒチの音韻に化けた。つまりは、ヒチはシチより言いやすい。今日の結論、子どもの発音発達は、マ行・バ行は早いけど、サ行・ラ行は時間がかかる。幼児の言語学の常識。
君:笑っちゃうわ。母親なら誰でも知っているわよ。ほほほ

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